法師岡館跡(読み)ほうしおかだてあと

日本歴史地名大系 「法師岡館跡」の解説

法師岡館跡
ほうしおかだてあと

[現在地名]福地村法師岡 田向

法師岡の東、馬淵まべち川右岸の河岸段丘に位置する。北を馬淵川が東流し、水面との比高約三五メートル。「南部諸城の研究」によれば櫛引氏一族の小笠原氏の居館とされ、天正年中(一五七三―九二)小笠原兵部が居館していたという。一説には櫛引河内清長の弟左馬助清政が居館したともいう。

当館は櫛引くしひき(現八戸市)南西に位置し、同城の外防衛線として、対岸の諸勢力と対抗した。天正一九年三月浅水あさみず(現五戸町)城主南氏が櫛引城攻略の途次に当館に攻撃をしかけたが、これを撃退している(「奥南盛風記」岩手県盛岡市中央公民館蔵)。同年五月根城南部氏と中野なかの(現南郷村)館主中野氏により攻撃され、落城したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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