日本大百科全書(ニッポニカ) 「法朗」の意味・わかりやすい解説
法朗
ほうろう
(507―581)
中国、梁(りょう)代・陳代の僧。三論(『般若(はんにゃ)経』に基づいて空(くう)を論じた『中論』『百論』『十二門論』)の教学を広めた。俗姓を周といい、徐州沛(はい)郡沛(江蘇(こうそ)省沛県)に生まれる。名門の出身で若くして軍旅(いくさ)を習ったが、北伐のとき思うところあり、21歳にして出家した。禅法を受け『律』『成論(じょうろん)』『毘曇(びどん)』を学んでのち、僧詮(そうせん)から三論および『大智度(だいちど)論』『華厳(けごん)経』『大品(だいぼん)般若経』を受けた。558年、陳の武帝(陳覇先(ちんはせん))の勅により建康(南京(ナンキン))の興皇寺に住し、多くの弟子を教化(きょうけ)した。興皇寺法朗と称せられる。弟子のなかに三論教学の大成者、嘉祥大師吉蔵(かじょうだいしきちぞう)がいる。
[丸山孝雄 2017年4月18日]
『平井俊榮著『中国般若思想史研究――吉蔵と三論学派』(1976・春秋社)』