日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳覇先」の意味・わかりやすい解説
陳覇先
ちんはせん
(503―559)
中国、南朝陳(ちん)の創始者(在位557~559)。廟号(びょうごう)は高祖。諡号(しごう)は武帝。字(あざな)は興国。呉興長城(浙江(せっこう)省長興県)の人。油庫吏という微賤(びせん)の職から身をおこし、のち監始興郡となったとき、嶺南(れいなん)地方の土豪たちと侯景(こうけい)討伐軍を組織した。贛水(かんすい)を下った甲士3万、舟艦2000からなる軍勢は、梁(りょう)の元帝が派遣した王僧弁(おうそうべん)軍と合流、552年、侯景を東方の海上に追い詰めて敗死させた。その功により南徐州刺史(しし)として京口(けいこう)(江蘇(こうそ)省鎮江)に鎮した。やがて北斉が傀儡(かいらい)として江南に送り込んだ梁の宗室の蕭淵明(しょうえんめい)を王僧弁がもり立てたことに反対してこれを建康(南京(ナンキン))に破った梁の元帝が西魏(せいぎ)に襲殺されると、敬帝をたて、敬帝の禅譲を受けて557年10月には陳王朝を開いた。しかし即位わずか2年、王朝の基礎がまだ固まらないうちに没した。
[吉川忠夫]
『吉川忠夫著『侯景の乱始末記』(中公新書)』