普通には中国,日本の仏教宗派の一つとされる。インドからチベットへ流伝した中観派に対応するものとして,中国仏教においては三論学派があった。クマーラジーバ(鳩摩羅什)晩年の訳になる竜樹(ナーガールジュナ)の《中論》《十二門論》および提婆(だいば)の《百論》の三論を主として研究・講義し,またその哲学にもとづいて禅観を実践する学僧たちの学統である。クマーラジーバ没後,辺境地域に流散していた学統が南朝後半期に摂山棲霞寺を中心に再統合され発展せしめられ,つづいて隋の嘉祥大師吉蔵によって南北両系統の三論学の伝統が集大成された。吉蔵は,当時姸を競っていた諸学派の中にあって,〈破邪顕正〉(有無いずれにも滞(とどこお)ることのない三論の玄義)こそが仏教の根本真理であることを確立した。しかし中国においては〈三論宗〉の語が用いられたことはない。日本においても奈良遷都以前から元興寺,大安寺などに〈三論衆〉があり,吉蔵の学統を伝えていたが,天平勝宝年間(749-757)になってはじめて東大寺において〈三論宗〉の学団が南都六宗の一つとして公的に確立されたと考えられる。以後,三論学派が〈三論宗〉と呼ばれるようになるのである。
執筆者:荒牧 典俊
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中国仏教の一宗派(学派)で、日本にも伝わり南都六宗の一つに数えられる。『般若経(はんにゃきょう)』の空(くう)を論じた『中論』『百論』『十二門論』の三論に基づくのでこの名がある。無得正観(むとくしょうかん)(空にも有にもとらわれない八不中道(はっぷちゅうどう)を観ずること)、破邪顕正(はじゃけんしょう)(誤った見解、とらわれを打ち破り、正しい道理を顕(あらわ)すこと)を説く。『中論』『十二門論』はインドの龍樹(りゅうじゅ)、『百論』はその弟子提婆(だいば)の著作。いずれも401年に長安にきた鳩摩羅什(くまらじゅう)により漢訳され、門下に研究された。梁(りょう)代に僧朗がこれを江南に伝え、僧詮(そうせん)―法朗(ほうろう)―吉蔵(きちぞう)と受け継がれた。吉蔵は嘉祥大師(かじょうだいし)と称せられ、三論の注釈書『中論疏(しょ)』『百論疏』『十二門論疏』および『三論玄義』などを著して三論の教学を大成した。
吉蔵に師事した高麗(こうらい)僧の慧灌(えかん)は625年(推古天皇33)に来朝し、元興(がんごう)寺に住して三論の教学を伝え、福亮(ふくりょう)、智蔵(ちぞう)らがこれを広めた。その後、大安(だいあん)寺派と元興寺派に分派した。平安朝以後は新興仏教に押され、学問研究は続いたが宗派としては衰微した。
[丸山孝雄]
『平井俊榮著『中国般若思想史研究――吉蔵と三論学派』(1976・春秋社)』
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南都六宗の一つ。竜樹(りゅうじゅ)の「中論」「十二門論」と提婆(だいば)の「百論」の3部の論書を所依の典拠とする。般若皆空・諸行無常といった空の思想を宗義の根本にすえる。三論は鳩摩羅什(くまらじゅう)によって漢訳され,嘉祥大師吉蔵によって一宗として大成された。竜樹を開祖,吉蔵を宗祖とする。日本には高麗僧恵灌(えかん)により伝えられ,元興(がんごう)寺で学ばれた。福亮(ふくりょう)・智蔵(ちぞう)がこれを相伝し,智蔵の弟子に智光・礼光(らいこう)・道慈(どうじ)がでた。智光・礼光は元興寺で(元興寺流),道慈は大安寺で(大安寺流)それぞれ三論教学を講じた。元興寺流からは聖宝(しょうぼう)がでて東大寺に東南院を創建して三論の拠点とし,平安末期に永観・珍海らが,大安寺流からは善議・勤操(ごんぞう)らが輩出した。
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…《日本書紀》によれば,625年(推古33)高麗王に貢せられて来朝し,僧正に任ぜられたとある。《三国仏法伝通縁起》には,慧灌は中国の嘉祥大師(吉蔵)から三論を学んで日本へ来て,三論宗の始祖となり,飛鳥の法興寺に住したとある。僧正の補任(ぶにん)について,《東大寺具書》によると,孝徳天皇のとき,天下が干ばつにおそわれたので,慧灌を召し寄せ,青衣を着けて三論を講ぜしめたところ,大いに甘雨が降り,その褒賞として僧正に任ぜられたと伝え,《元亨釈書》には祈雨の三論講説を625年来朝の年とし,晩年には河内の志紀郡に井上(いのえ)寺を建てて三論を広めたとある。…
…中国,隋代の僧。三論宗の開創者,嘉祥大師ともいう。金陵(南京)の人。…
…中国,陳から唐初に活躍した学僧,吉蔵の著。三論とは2~3世紀ごろのインドの竜樹(ナーガールジュナ)が書いた《中論》と《十二門論》およびその弟子の提婆(だいば)の著《百論》の三つを指し,クマーラジーバの中国訳によって,これらは《般若経》の説く空観の精髄を示すとされ,〈三論宗〉なる宗派が成立する根拠となるのだが,《三論玄義》はその教科書であると同時に,空観を最も簡明に要約し解説した仏教入門書でもある。【川勝 義雄】。…
…中国,南北朝期にとくに三論宗の教義の中心として論議された仏教教理概念で,真諦と俗諦のこと。真諦とは絶対不変の真理,俗諦とは世俗的真理を言う。…
…奈良六宗ともいう。8世紀に官大寺などで研究されていた三論宗,成実(じようじつ)宗,法相(ほつそう)宗,俱舎(くしや)宗,華厳(けごん)宗,律宗の六宗を指す。六宗の成立以前に華厳宗を除く五宗が成立していたことは,718年(養老2)10月の太政官符に〈五宗の学,三蔵の教〉とあることからもうかがわれ,藤原氏祖先の伝記である《家伝》(鎌足伝)も藤原鎌足が飛鳥元興(がんごう)寺に五宗の研究の費用を寄付したと伝えている。…
※「三論宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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