三論宗(読み)サンロンシュウ

デジタル大辞泉 「三論宗」の意味・読み・例文・類語

さんろん‐しゅう【三論宗】

三論典拠とする仏教宗派起源インドで、思想を説く。鳩摩羅什くまらじゅうによって中国に伝えられ、隋末・唐初のころ、僧吉蔵が中国十三宗の一として完成。日本には推古天皇33年(625)、吉蔵の弟子慧灌えかんによって伝えられ、智蔵道慈が入唐帰朝して、南都六宗の一となる。実践より思弁的要素が強く、平安時代以後衰退。くう宗。中観宗。

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精選版 日本国語大辞典 「三論宗」の意味・読み・例文・類語

さんろん‐しゅう【三論宗・三論衆】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「さんろんじゅう」とも ) 仏語。南都六宗の一つ。中論(中観論)・十二門論・百論の三論をよりどころとして、大乗の教えを説くもの。もともとインドでおこり、鳩摩羅什(くまらじゅう)が中国に伝え、隋の吉蔵が大成したという。日本には、推古天皇の三三年(六二五)、吉蔵の弟子、慧灌が渡来して広め、智蔵、道慈が入唐して宗旨を修めて以後、宗の名を立てた。天台宗などのような、教団として発展したものではないので、中古以後は衰え、法隆寺東大寺などに学問として伝えられた。空宗。中観宗。無相宗。三論。
    1. [初出の実例]「三論衆銭一千一百十貫八百五十文」(出典:大安寺伽藍縁起并流記資財帳‐天平一九年(747)二月一一日)

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改訂新版 世界大百科事典 「三論宗」の意味・わかりやすい解説

三論宗 (さんろんしゅう)

普通には中国,日本の仏教宗派の一つとされる。インドからチベットへ流伝した中観派に対応するものとして,中国仏教においては三論学派があった。クマーラジーバ(鳩摩羅什晩年の訳になる竜樹(ナーガールジュナ)の《中論》《十二門論》および提婆だいば)の《百論》の三論を主として研究・講義し,またその哲学にもとづいて禅観を実践する学僧たちの学統である。クマーラジーバ没後,辺境地域に流散していた学統が南朝後半期に摂山棲霞寺を中心に再統合され発展せしめられ,つづいて隋の嘉祥大師吉蔵によって南北両系統の三論学の伝統が集大成された。吉蔵は,当時姸を競っていた諸学派の中にあって,〈破邪顕正〉(有無いずれにも滞(とどこお)ることのない三論の玄義)こそが仏教の根本真理であることを確立した。しかし中国においては〈三論宗〉の語が用いられたことはない。日本においても奈良遷都以前から元興寺,大安寺などに〈三論衆〉があり,吉蔵の学統を伝えていたが,天平勝宝年間(749-757)になってはじめて東大寺において〈三論宗〉の学団が南都六宗の一つとして公的に確立されたと考えられる。以後,三論学派が〈三論宗〉と呼ばれるようになるのである。
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百科事典マイペディア 「三論宗」の意味・わかりやすい解説

三論宗【さんろんしゅう】

仏教の一宗派。三論立宗の基礎,般若の空を教理の根幹とする。竜樹とその弟子提婆(だいば)によって創始され,中国隋末に吉蔵(きちぞう)によって大成された。日本へは625年吉蔵の弟子,高麗僧慧灌(えかん)が伝え,元興寺で講じた。法孫智蔵は入唐後,法隆寺で弘通(ぐつう)に努めた。以後,大安寺,西大寺,東大寺南院を中心に栄え,南都六宗の一つであった。江戸時代までは法相宗の一部に命脈を保っていたが,現在は衰滅している。
→関連項目クマーラジーバ誓願寺中観派法性

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三論宗」の意味・わかりやすい解説

三論宗
さんろんしゅう

中国仏教の一宗派(学派)で、日本にも伝わり南都六宗の一つに数えられる。『般若経(はんにゃきょう)』の空(くう)を論じた『中論』『百論』『十二門論』の三論に基づくのでこの名がある。無得正観(むとくしょうかん)(空にも有にもとらわれない八不中道(はっぷちゅうどう)を観ずること)、破邪顕正(はじゃけんしょう)(誤った見解、とらわれを打ち破り、正しい道理を顕(あらわ)すこと)を説く。『中論』『十二門論』はインドの龍樹(りゅうじゅ)、『百論』はその弟子提婆(だいば)の著作。いずれも401年に長安にきた鳩摩羅什(くまらじゅう)により漢訳され、門下に研究された。梁(りょう)代に僧朗がこれを江南に伝え、僧詮(そうせん)―法朗(ほうろう)―吉蔵(きちぞう)と受け継がれた。吉蔵は嘉祥大師(かじょうだいし)と称せられ、三論の注釈書『中論疏(しょ)』『百論疏』『十二門論疏』および『三論玄義』などを著して三論の教学を大成した。

 吉蔵に師事した高麗(こうらい)僧の慧灌(えかん)は625年(推古天皇33)に来朝し、元興(がんごう)寺に住して三論の教学を伝え、福亮(ふくりょう)、智蔵(ちぞう)らがこれを広めた。その後、大安(だいあん)寺派と元興寺派に分派した。平安朝以後は新興仏教に押され、学問研究は続いたが宗派としては衰微した。

[丸山孝雄]

『平井俊榮著『中国般若思想史研究――吉蔵と三論学派』(1976・春秋社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三論宗」の意味・わかりやすい解説

三論宗
さんろんしゅう

仏教の宗派名。『中論』『十二門論』『百論』の3論を所依として立宗したのでこの名がある。中国十三宗の一つ。高祖を文殊菩薩とし,次祖を馬鳴,三祖を龍樹とする。龍樹に2人の弟子があって2派に分れる。一つは龍樹-龍智-清弁-智光-師子光と伝え,一つは龍樹-提婆-羅ご羅多-沙車王子-羅什と伝える。羅什門下には俊才が輩出したが,そのなかの道生から曇済-道朗-僧詮-法朗-吉蔵と伝えられた。吉蔵によって大成したので,諸祖のなかで吉蔵を太祖とし,それ以前を古三論,あるいは北地の三論と称し,それ以後を新三論,または南地の三論と称した。吉蔵の弟子で高麗出身の慧灌が推古 33 (625) 年には日本に渡来し,初め飛鳥の元興寺に住したが,のちに井上寺 (いがみじ) を創建して三論宗を広め南都六宗の一つとして盛んになっていった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「三論宗」の解説

三論宗
さんろんしゅう

南都六宗の一つ。竜樹(りゅうじゅ)の「中論」「十二門論」と提婆(だいば)の「百論」の3部の論書を所依の典拠とする。般若皆空・諸行無常といった空の思想を宗義の根本にすえる。三論は鳩摩羅什(くまらじゅう)によって漢訳され,嘉祥大師吉蔵によって一宗として大成された。竜樹を開祖,吉蔵を宗祖とする。日本には高麗僧恵灌(えかん)により伝えられ,元興(がんごう)寺で学ばれた。福亮(ふくりょう)・智蔵(ちぞう)がこれを相伝し,智蔵の弟子に智光・礼光(らいこう)・道慈(どうじ)がでた。智光・礼光は元興寺で(元興寺流),道慈は大安寺で(大安寺流)それぞれ三論教学を講じた。元興寺流からは聖宝(しょうぼう)がでて東大寺に東南院を創建して三論の拠点とし,平安末期に永観・珍海らが,大安寺流からは善議・勤操(ごんぞう)らが輩出した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「三論宗」の解説

三論宗
さんろんしゅう

南都六宗の一つ
中国の隋代に吉蔵 (きちぞう) が大成。一切皆空・破邪顕正を説く。インドの竜樹の『中論』『十二門論』,その弟子提婆 (だいば) の『百論』によるので三論という。日本では7〜8世紀ころ盛んに講究されたが,やがて衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内の三論宗の言及

【慧灌】より

…《日本書紀》によれば,625年(推古33)高麗王に貢せられて来朝し,僧正に任ぜられたとある。《三国仏法伝通縁起》には,慧灌は中国の嘉祥大師(吉蔵)から三論を学んで日本へ来て,三論宗の始祖となり,飛鳥の法興寺に住したとある。僧正の補任(ぶにん)について,《東大寺具書》によると,孝徳天皇のとき,天下が干ばつにおそわれたので,慧灌を召し寄せ,青衣を着けて三論を講ぜしめたところ,大いに甘雨が降り,その褒賞として僧正に任ぜられたと伝え,《元亨釈書》には祈雨の三論講説を625年来朝の年とし,晩年には河内の志紀郡に井上(いのえ)寺を建てて三論を広めたとある。…

【吉蔵】より

…中国,隋代の僧。三論宗の開創者,嘉祥大師ともいう。金陵(南京)の人。…

【三論玄義】より

…中国,陳から唐初に活躍した学僧,吉蔵の著。三論とは2~3世紀ごろのインドの竜樹(ナーガールジュナ)が書いた《中論》と《十二門論》およびその弟子の提婆(だいば)の著《百論》の三つを指し,クマーラジーバの中国訳によって,これらは《般若経》の説く空観の精髄を示すとされ,〈三論宗〉なる宗派が成立する根拠となるのだが,《三論玄義》はその教科書であると同時に,空観を最も簡明に要約し解説した仏教入門書でもある。【川勝 義雄】。…

【真俗二諦】より

…中国,南北朝期にとくに三論宗の教義の中心として論議された仏教教理概念で,真諦と俗諦のこと。真諦とは絶対不変の真理,俗諦とは世俗的真理を言う。…

【南都六宗】より

…奈良六宗ともいう。8世紀に官大寺などで研究されていた三論宗,成実(じようじつ)宗,法相(ほつそう)宗俱舎(くしや)宗華厳(けごん)宗律宗の六宗を指す。六宗の成立以前に華厳宗を除く五宗が成立していたことは,718年(養老2)10月の太政官符に〈五宗の学,三蔵の教〉とあることからもうかがわれ,藤原氏祖先の伝記である《家伝》(鎌足伝)も藤原鎌足が飛鳥元興(がんごう)寺に五宗の研究の費用を寄付したと伝えている。…

※「三論宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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