日本歴史地名大系 「法貴寺跡」の解説 法貴寺跡ほうきじあと 奈良県:磯城郡田原本町法貴寺村法貴寺跡[現在地名]田原本町大字法貴寺小字寺垣内池坐朝霧黄幡比売(いけにいますあさぎりきはたひめ)神社の北に隣接してあったが、明治初年廃された。現在は塔頭の千萬(せんまん)院のみが残る。千萬院は真言律宗で藤原山法貴寺と号し、本尊薬師如来。木造不動明王立像は平安時代後期の作で、国指定重要文化財。法貴寺の本坊であった実相(じつそう)院の縁起(大和志料)には「暦録曰」として、推古天皇の二四年に新羅王から贈られた薬師如来三尊を聖徳太子が城下(しきげ)郡法起寺に安置し、霊験があらたかなので容易に拝見させないよう、在俗愚人を内陣に入れぬようにと秦河勝らに命じたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by