法道仙人(読み)ほうどうせんにん

改訂新版 世界大百科事典 「法道仙人」の意味・わかりやすい解説

法道仙人 (ほうどうせんにん)

播磨国の法華山一乗寺(加西市)を中心として十一面観音信仰を伝えたという仙人天竺霊鷲山(りようじゆせん)の五百持明仙の一人で,孝徳天皇(在位645-654)のころ日本に渡来したという伝説上の人物。〈飛鉢の法〉をよくし,空鉢仙人ともいわれる。御嶽山清水寺(加東市)の平安末期の文書が文献史料として最古のものである。鎌倉末期から南北朝期になると播磨の有名山岳寺院20ヵ寺を開いたという伝承が成立し,江戸時代には,播磨はもちろん,但馬丹波摂津にいたる諸寺の縁起類に名前がみられる。法道仙人は医薬とも関係し,なかでも,和泉国の鉢ヶ峰山法道寺の法道仙人は,口のきけぬ開化天皇の皇子誉津別(ほむつわけ)命に言葉を言わせた験力ある仙人として,鎌倉末期の縁起に記載されている。誉津別命の話は,〈方道仙人〉が登場する能登国の石動山(いするぎさん)天平寺の中世末期の縁起にもある。石動山天平寺は北越地方の方道伝説の中心である。
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朝日日本歴史人物事典 「法道仙人」の解説

法道仙人

兵庫県加西市にある一乗寺を中心に活躍したという伝説上の仙人。6世紀半ばに,天竺の霊鷲山から渡来した仙人で,方術を駆使し,特に「飛鉢の法」を行ったことで知られる。中世には播磨(兵庫県)一帯の山岳寺院を開創した人物にみなされた。十一面観音信仰を広める一方で,陰陽道の術もわきまえていたことから,法道仙人の系統から蘆屋道満という強力な陰陽師が出現し,のちに安倍晴明と対決した。仏教と陰陽道を巧みに結びつけた呪術者のひとりと思われるが,民間の布教活動は盛んで,医薬を用いて病気治しを行っていたともいわれている。法道は方道とも書かれており,播磨からさらに能登(石川県)の石動山まで,方道仙人の奇蹟伝説が語られている。

(宮田登)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の法道仙人の言及

【飛鉢譚】より

…役人が僧に帰依すると米は再び船に還ったという。同様の話は,白山の泰澄(《泰澄和尚伝記》),播州一乗寺の法道仙人(《峯相記》),彦山蔵持山空鉢窟の静暹(じようせん)(《彦山流記》)など諸国にみられる。いずれも古代から中世への過渡期に山岳寺院の縁起として形成された話だが,そこには長者や海上交通(米)と霊山(聖)の交渉を通して,王権と山岳寺院(修験道)との関係が物語られており,飛鉢(空鉢(くばつ))とは両者の媒介を象徴するものであった。…

※「法道仙人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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