誉津別命(読み)ほむつわけのみこと

朝日日本歴史人物事典 「誉津別命」の解説

誉津別命

古事記』『日本書紀』によれば,垂仁天皇皇子。母は狭穂姫。『古事記』には本牟智和気王と記され,狭穂姫が,謀反を企てた兄,狭穂彦の砦にいるとき,燃える炎の中で誕生したため,ホ(火)ムチ(貴)ワケと名づけられた。成人しても,ものをいうことができなかったが,ある日,空を飛ぶ白鳥の声を聞いて片言を発した。そこでその白鳥を越の国(北陸地方)で捕らえさせて皇子に見せたが効果はなかった。心配する天皇の夢に出雲大神(大国主神)が現れ,自分の宮を皇居のように造営すれば,皇子はものをいうようになると教えた。そこで皇子が出雲に赴き,大神を拝んだところ口がきけるようになった。その地で肥長ヒメと結婚するが,ヒメの正体が蛇であることを知って都に逃げ帰る。ヒメは悲しんで途中まで追ってきたという。皇子が言葉の自在を得たことを天皇は喜び,出雲の大神の神宮を造営し,また鳥取部(白鳥を捕らえ,貢納する部),鳥甘部(白鳥を飼育する部)などを定めた。この物語は『古事記』垂仁天皇条の3分の1を占め,神異的出生,生育,異類婚譚を含む。子もなく即位もしなかった誉津別命がなぜこのような伝承を持ったかについては,この皇子を継体天皇系譜始祖とする伝があるためとする説がある。『日本書紀』の所伝では火中出産,出雲大神祭祀の関連伝承がなく,口のきけない皇子が白鳥を弄ぶことによって,ものをいうようになったこと,鳥取部,鳥養部などの設置を記す。出雲の国造の神賀詞には「白鵠生御調玩物と,倭文の大御心もたしに」と,生きた白鳥を愛玩物として朝廷に献上していたことが記され,当伝承との関連が指摘されている。<参考文献>吉井巌『天皇の系譜と神話 二』

(寺田恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「誉津別命」の意味・わかりやすい解説

誉津別命 (ほむつわけのみこと)

記紀にみえる垂仁天皇の皇子。母の狭穂(さほ)姫は兄の反乱に加わって死に,皇子はその燃える城の中で生まれた(狭穂彦・狭穂姫)。天皇は皇子を二俣小舟(ふたまたおぶね)に乗せ池に浮かべて生育したが,皇子は長じても啞であった。ところが飛ぶ白鳥を見て初めて口を動かし,白鳥を手にして言葉の自在を得た。《古事記》では白鳥を手にしても物を言わず出雲大神を拝してようやく言葉の自在を得たという。ここで皇子は肥長(ひなが)姫と婚するが,姫が実は蛇体であることを知って逃走する。聖誕,神秘な養育,籠りの期の啞,白鳥を得ての再生,また肥河の蛇体の神女との結婚というように,皇子の再生までの展開は神秘な始祖伝承のおもかげを残している。なぜ子もなく即位もしない皇子の,かかる伝承が伝えられたのか。これに答えるのが《釈日本紀》引用の〈上宮記一云〉の系譜である。ホムツワケはここで6世紀の新皇統の始祖と記述されている。26代の継体天皇が15代応神天皇の血統に結ばれる前に,ホムツワケは継体皇統の始祖として存在し,その始祖伝承の残像がこの物語だったのである。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「誉津別命」の解説

誉津別命 ほむつわけのみこと

記・紀にみえる垂仁(すいにん)天皇の皇子。
母の狭穂(さほ)姫は兄の反乱にくわわって死に,皇子はもえる城のなかで誕生。池にうかべた小舟で養育され,大きくなっても口がきけなかったが,白鳥をみてはじめて口をうごかす。「古事記」では結婚した肥長比売(ひながひめ)が蛇と知って逃げるなど,始祖伝承のおもかげをのこす。「古事記」では品牟都和気命,本牟智和気王。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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