日本歴史地名大系 「法願寺村」の解説 法願寺村ほうがんじむら 埼玉県:大宮市法願寺村[現在地名]大宮市高木(たかぎ)北野貝戸(きたのがいと)村の南、大宮台地指扇(さしおうぎ)支台の南西に延びる半島状の地域に位置する。西は木下(きのした)村飛地、南は指扇村に接し、沖積低地となっている。村名は昔法願寺という寺院があったことによるという。差扇(さしおうぎ)領に属する(風土記稿)。江戸時代の領主の変遷は指扇村に同じ。田園簿では田一八石余・畑八石余。元禄七年(一六九四)に検地が行われた(「御検地之節日記」東京都河井家文書)。延享元年(一七四四)には下谷原(しもやはら)の流作場検地が行われ、指扇村などとともに差扇領一三ヵ村組合に所属(「流作場検地帳」片岡家文書)。元禄七年中山道上尾宿の助郷に指定され、勤高二七石(「上尾宿并上郷上尾村助郷村高」田中家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報