波多野敬直(読み)ハタノ ヨシナオ

20世紀日本人名事典 「波多野敬直」の解説

波多野 敬直
ハタノ ヨシナオ

明治・大正期の官僚,子爵 宮内相;司法相;貴院議員(勅選)。



生年
嘉永3年10月10日(1850年)

没年
大正11(1922)年8月21日

出生地
江戸

出身地
肥前国(佐賀県)

学歴〔年〕
南校

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日桐花大綬章

経歴
興譲館、南校で学び、明治7年司法省に入る。12年判事、14年広島始審裁判所長、20年司法参事官、24年大審院判事、29年函館控訴院検事、31年東京控訴院検事、32年司法次官などを歴任し、33年司法省総務長官兼官房長、36年第1次桂内閣の司法相。39年勅選貴院議員。44年東宮大夫、大正3年宮内大臣となり、大正天皇即位の大礼を司る。9年退官。この間、皇族制度や宮中財政など困難な問題を解決した。明治40年男爵、大正6年子爵。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「波多野敬直」の解説

波多野 敬直
ハタノ タカナオ


肩書
宮内相,司法相

生年月日
嘉永3年10月10日(1850年)

出生地
江戸

経歴
明治7年司法省に入り、12年判事、14年広島始審裁判所長、20年司法参事官、24年大審院判事、29年函館控訴院検事、31年東京控訴院検事、32年司法次官などを歴任。33年司法省総務長官兼官房長、36年第1次桂内閣の司法相、44年東宮大夫、大正3年宮内大臣となり、9年退官。この間、皇族制度や宮中財政など困難な問題を解決した。明治40年男爵、大正6年子爵。

受賞
正二位勲一等旭日桐花大綬章

没年月日
大正11年8月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「波多野敬直」の解説

波多野敬直

没年:大正11.8.21(1922)
生年:嘉永3.10.10(1850.11.13)
明治大正期の司法・宮内官僚。肥前小城藩(佐賀県)藩士波多野久蔵の子として生まれ,興譲館で草場船山に学ぶ。維新後,その才能が認められて藩の命令で明治5(1872)年南校に入学,ドイツ法を学ぶ。7年司法省に入省,以降順調な道を歩み,32年司法次官,36年には第1次桂太郎内閣で司法大臣となる。さらに39年には貴族院議員に勅選される。大正3(1914)年宮内大臣となり,大正天皇即位の大礼を司る。宮内大臣としての彼は元老山県有朋の下で,大正天皇をめぐる種々の難問に対処した。

(季武嘉也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「波多野敬直」の解説

波多野敬直 はたの-よしなお

1850-1922 明治-大正時代の官僚。
嘉永(かえい)3年10月10日生まれ。肥前小城(おぎ)藩(佐賀県)藩士の子。明治7年司法省にはいり,函館控訴院長,東京控訴院検事長などをへて,36年第1次桂内閣の法相となる。39年貴族院議員。44年東宮大夫。大正3年から9年まで宮内大臣をつとめた。大正11年8月29日死去。73歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「波多野敬直」の解説

波多野 敬直 (はたの よしなお)

生年月日:1850年10月10日
明治時代;大正時代の官僚。司法大臣;貴族院議員
1922年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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