日本大百科全書(ニッポニカ) 「波多野鶴吉」の意味・わかりやすい解説
波多野鶴吉
はたのつるきち
(1858―1918)
明治・大正期の実業家。郡是(ぐんぜ)製糸(現、グンゼ)の創立者。京都府何鹿(いかるが)郡中筋村(現、綾部(あやべ)市)羽室(はむろ)家の次男に生まれ、9歳のおり波多野家の養子となる。1876年(明治9)京都に出、京都中学で数学を、さらに大阪に移って勉学を続けたが、1881年帰郷して小学校教師となった。4年3か月の教員生活ののち、1886年3月には新設の何鹿郡蚕糸業組合の組長となり、高等養蚕伝習所を創設して指導者の養成にも努めた。前田正名(まさな)の視察・来郡が契機ともなって1896年、京都府中丹地方の蚕糸業の展開を背景に郡是製糸を創業した。成行(なりゆき)約定や正量取引を始めエキストラ格の生糸輸出を行い、また熱心なクリスチャンとして工女教育にも力を注ぎ、広く日本の蚕糸業の発展に尽力し、片倉と並ぶ独占製糸資本に郡是を育て上げた。
[加藤幸三郎]