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前田正名 まえだ まさな

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美術人名辞典の解説

前田正名

官吏・男爵。鹿児島県生。生涯を在来産業の育成に捧げ、〈布袋の農相〉と呼ばれた。元老院議官貴族院議員等を歴任する。大正10年(1921)歿、72才。

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百科事典マイペディアの解説

前田正名【まえだまさな】

明治期の経済官僚,産業運動指導者。鹿児島藩漢方医の子として生まれ,蘭学を学び長崎に留学。1869年フランス留学,1879年大蔵省御用掛として帰国,1881年《直接貿易意見一班》を提出し直輸出政策を主張するが,1885年農商務省退官。(1850-1921)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田正名 まえだ-まさな

1850-1921 明治時代の官僚。
嘉永(かえい)3年3月12日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩医前田善安(よしやす)の6男。明治2年フランスに留学。大蔵・農商務省につとめ,17年「興業意見」をあらわして殖産興業につとめた。23年農商務次官,貴族院議員。退官後も地方産業の振興と実業団体の組織化につとめ「布衣(ほい)の農相」とよばれた。大正10年8月11日死去。72歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

前田正名

没年:大正10.8.11(1921)
生年:嘉永3.3.12(1850.4.23)
明治前期の経済官僚,地方産業振興運動指導者。鹿児島藩医前田善安の6男。慶応年間(1865~68)長崎留学,明治2(1869)年フランスに渡り,フランス農商務省で行財政を学び,10年に内務省御用掛として帰国。のち「大隈財政」下の大蔵省にあって直輸出論を提唱,大隈ブレーンのひとりとなる。14年農商務・大蔵大書記官となり欧州経済事情調査に出張。16年帰国後は品川弥二郎らと組み経済政策を構想,17年3月より農商務省で『興業意見』編纂に取り組み,8月未定稿30巻を完成,「松方財政」を批判し,殖産興業資金の追加供給による強力な産業保護主義を主張して松方正義大蔵卿と対立した。このため内容の大幅変更を余儀なくされた『興業意見』の刊行となった。18年7月より不況下の地方に出張し,勤勉,節倹,貯蓄の「三要点」を強調して農民の自力更生を説くが,同年12月非職。21年山梨県知事を経て22年農商務省工務局長,農務局長に復帰,23年農商務次官,元老院議官,貴族院勅選議員となるが,政府中枢の政策に同調できず官界を去り,25年以降地方産業振興運動を指導。地方実業団体,全国農事会を系統組織化,政府,議会にそれら団体の要求を建議する活動を行った。30年代には農村調査計画である町村是運動に挺身したが,晩年は不遇に終わった。<参考文献>祖田修『前田正名』,同『地方産業の思想と運動』

(海野福寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

まえだまさな【前田正名】

1850‐1921(嘉永3‐大正10)
明治期の官僚。薩摩藩士(漢方医)前田善安の子として藩地に誕生。9歳で鹿児島城下の蘭学者八木玄悦の門に入り,16歳のとき長崎へ留学,同藩士五代友厚中原猶介らの武器購入を助け,坂本竜馬,陸奥源次郎(宗光)らの〈亀山社中〉と交流するなど,時勢の激動を体験した。また兄正穀(献吉)とその友人高橋良昭(新吉)が,オランダ人フルベッキの援助で進めていた英和辞書(いわゆる《薩摩辞書》)の編集に参加した。1869年(明治2),大学校留学生として渡仏,普仏戦争(1870‐71)を体験し,76年末に帰国。

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大辞林 第三版の解説

まえだまさな【前田正名】

1850~1921) 明治期の官僚・農政家。薩摩の人。松方正義の上からの殖産興業政策に反対し,下からの地方産業振興を提唱。著「興業意見」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前田正名
まえだまさな
(1850―1921)

明治前期の経済官僚で、農業・在来産業を重視した殖産興業政策の実践者。嘉永(かえい)3年3月12日、薩摩(さつま)藩医師前田善安(よしやす)の三男に生まれる。1869年(明治2)フランスに留学、各国経済事情を視察し、フランス農商務省次官ユーゼン・チッスランにつき農業・産業政策を学ぶ。1876年帰国し内務省御用掛となり、翌1877年三田(みた)育種場を開く。1878年パリ万国博事務官長を務め、再渡欧ののち、1881年大蔵省大書記官となり『興業意見』30巻を完成、当時の日本経済の全国的調査と経済成長の国是を提案した。その後、山梨県知事、農商務省工務局長、同農務局長、東京農林学校長などを経て、1890年1月には農商務省次官となり、大規模な全国的農事調査を実施した。しかし同年5月陸奥宗光(むつむねみつ)が農商務相となるや対立して下野、9月貴族院議員となった。1892年3月『所見』を刊行し、新たな地方産業振興運動に乗り出し、全国行脚(あんぎゃ)を開始した。翌1893年に雑誌『産業』を創刊し、直輸出促進と在来産業の実業団体(五二会、茶業会、蚕糸業会その他)結成に奔走。一時は「布衣(ほい)ノ農相」とうたわれた。1897年運動の指導者の立場を退いたため、彼の影響力は弱まり、運動も衰退した。大正10年8月11日死去。[長 幸男]
『祖田修著『前田正名』(1987・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の前田正名の言及

【興業意見】より

…1884年農商務省大書記官前田正名らによって編集された殖産興業に関する論策で,当時の産業計画の根幹となった歴史的文献。本書は農談会,勧業諮問会の開催や農区視察員の派遣などを通じて準備が進められたもので,秩禄,金禄公債の所有の移動,士族の商法および帰農開墾の失敗事業,土地売買解禁後の農地移動状況,明治前期の物価変動状況,地租改正後の農家の経済状態など,当時を知るうえでの貴重な資料が含まれている。…

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