京都府中部、福知山(ふくちやま)盆地の東端に位置する市。1950年(昭和25)綾部町と中筋(なかすじ)、吉美(きみ)、山家(やまが)、西八田(やた)、東八田、口上林(くちかんばやし)の6村が合併して市制施行。1955年、豊里(とよさと)、物部(ものべ)、志賀郷(しがさと)、中上林、奥上林の5村を、1956年に佐賀村の一部を編入。JR山陰本線と舞鶴(まいづる)線の分岐点。国道27号、173号(綾部街道)が通じ、舞鶴若狭(わかさ)自動車道綾部インターチェンジ、京都縦貫自動車道の綾部安国寺インターチェンジがある。市街は由良(ゆら)川中流の段丘上に発達し、江戸時代は1633年(寛永10)以降九鬼(くき)氏2万石の城下町。『和名抄(わみょうしょう)』の漢部(あやべ)郷にあたり、市名は、古代に綾織を職とする渡来人秦(はた)氏の部民、漢部が居住したことに由来すると伝えられ、古くから養蚕が盛んであった。1896年(明治29)郡是(ぐんぜ)製糸(現、グンゼ)の創立以来、日本有数の製糸業地となり、ナイロン婦人靴下などを生産する。そのほか農業機械、自動車部品などの生産もみられ、1989年(平成1)府営工業団地、1996年には市営工業団地が完成している。またマツタケ、アユ、木材などを産し、ことに北部の黒谷(くろたに)の山間はコウゾが多く、良質の和紙を産し、草木で染めた染紙は素朴な民芸品として知られ和紙会館がある。聖徳太子創建と伝えられる光明寺(こうみょうじ)があり、二王門は国宝に指定されている。また足利(あしかが)氏の崇敬の厚かった古刹(こさつ)安国寺もある。2016年(平成28)、東部が京都丹波高原国定公園に指定された。1892年(明治25)出口ナオが開教した大本教(おおもときょう)発祥の地で、本部の一部である梅松苑(ばいしょうえん)がある。面積347.10平方キロメートル、人口3万1846(2020)。
[織田武雄]
『『綾部市史』全3冊(1976~1979・綾部市)』
京都府の中央よりやや北寄りにある市。1950年綾部町と中筋,吉美,山家(やまが),西八田,東八田,口上林の6村が合体,市制。人口3万5836(2010)。市域は福知山盆地東半部とその周辺の台地・丘陵,さらに東方の標高500~800mの山地からなる。由良川のはんらん原や段丘が桑畑に利用され,古来養蚕と絹織物で知られた。1633年(寛永10)九鬼氏が築城し,以後幕末まで九鬼氏2万石の城下町として繁栄した。明治以後は1896年の郡是製糸(現,グンゼ)設立により近代的な製糸業が発展,西日本の代表的製糸業都市となった。現在も化学繊維やメリヤスなどの繊維工業が行われるが,近年は電気機械器具,金属製品工業が盛んとなっている。国道27号線,JR山陰本線,舞鶴線が通じ,舞鶴若狭自動車道と京都縦貫自動車道のインターチェンジがある。舞鶴との境界に近い黒谷は,伝統的な和紙の産地として著名。大本教の発祥地であり,その本部がここと亀岡市と東京に置かれている。山陰本線沿線の山家には谷氏1万石の山家陣屋跡があり,東部の君尾山にある光明寺は国宝の二王門で知られる。
執筆者:浮田 典良
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…北部の脊振山地に源を発する寒水(しようず)川が中央部を南流する。綾部は《肥前国風土記》所載の三根郡漢部(あやべ)郷の遺称地で,中世には綾部荘があり,荘官で鎌倉幕府御家人綾部氏の居城があった。中原は近世,長崎街道の宿場であったが,現在も長崎本線,国道34号線が東西に通じ,交通の便にめぐまれる。…
※「綾部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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