波己曾社(読み)はこそしや

日本歴史地名大系 「波己曾社」の解説

波己曾社
はこそしや

[現在地名]妙義町妙義

妙義神社境内に鎮座する。同社の地主神で、前身であると考えられている。白雲はくうん山麓諸戸もろと行沢なめざわ碓氷うすい松井田まついだ行田おくなだに鎮座する七波己曾社の中心。「三代実録」貞観元年(八五九)三月二六日条に「授上野国正六位上波己曾神従五位下」とあり、元慶三年(八七九)閏一〇月四日に従五位上、同四年五月二五日に正五位上勲一二等に叙せられた。長元三年(一〇三〇)の「交替実録帳」には「碓氷郡 勲十二等波已曾神社 美豆垣壱廻 荒垣壱廻 外垣壱廻」とあり、総社本「上野国神名帳」でも碓氷郡に記され「従二位波己曾大明神」とある。江戸の国学者奈佐勝皐が天明六年(一七八六)上野・下野両国を調査見学した際の日記「山吹日記」五月四日の条で、妙義神社境内に入ったのち「左りの方に出れは波古曾の御神います、これも御社いときよらなり、此御神は神名式には載られねとも、三代実録にしはしは見えたるふるきみやしろなれとも、今はかく側にいますやうになり、おしなへてはしる人もなし」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報