泰久寺村
たいきゆうじむら
[現在地名]関金町泰久寺
松河原村の西に位置する。拝領高は二三六石余、本免は六ツ五分。藪役銀七匁を課されていた(藩史)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」によれば高二六〇石、竈数四〇余。幕末の六郡郷村生高竈付では生高二八二石余、竈数五一。「泰久寺村の木挽」といわれるほど、木挽を業とした者が多く農業を専業とする者はなかったという。蒜山三座の北側山麓が稼働地であった。用水は今西村の天神原で小鴨川から取水する讃岐井手を利用した。集落の南東部にある田地は明治二年(一八六九)明高村から志津村(現倉吉市)に至る志津井手が完成したのち開かれたもの。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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