改訂新版 世界大百科事典 「泰西国法論」の意味・わかりやすい解説
泰西国法論 (たいせいこくほうろん)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…蕃書調所教授手伝並となり,西周を知る。西らとともにオランダに留学し,フィセリングに師事して法学,経済学を修めて1865年(慶応1)に帰国し,日本で最初の近代法学書《泰西国法論》(1868)を出版した。維新政府に出仕して〈新律綱領〉の編纂に従い,また,日清修好条規締結に際して全権副使を務めた。…
…1863年オランダのライデンで西周と津田真道に,治国学の基本として自然法,国際法,国法,経済学および統計学を教授したことで知られている。その講義は後に翻訳され,西周《万国公法》(1868),神田孝平《性法略》(1871),津田真道《泰西国法論》(1868)および,同《表記提綱》(1874)として公刊され,揺籃期の日本の法学・政治学に影響を及ぼした。フィセリングはアムステルダムに生まれ,同地およびライデンの大学に学ぶ。…
… 三浦の場合も,〈公家制度の発達〉のなかでは大化改新以前を中国的概念でいう封建制の時代とみていたのに,〈“武家”制度の発達〉という論考にいたって,西洋的概念を用いはじめており,〈武家の世〉=〈封建の世〉という発想が中国的概念から西洋的概念への橋渡しをしているのである。もっとも,幕末・維新期からFeudalismusやLehnswesenを封建と訳すことが定着したわけでなく,津田真道の《泰西国法論》(オランダの憲法学者フィセリングの講義の邦訳。1868)は,〈籍土の制〉と訳しており,加藤弘之抄訳・ブルンチュリ《国法汎論》(1876)もこれを踏襲している。…
※「泰西国法論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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