日本歴史地名大系 「津守保」の解説 津守保つもりほ 熊本県:上益城郡益城町津守保益城町の東部、赤井(あかい)川の上流域にあった健軍(けんぐん)社領。名称は「和名抄」託麻(たくま)郡津守郷に由来し、中世までは託麻郡に属し、託麻東郷の一部を占めていたと思われる。「事蹟通考」は近世益城郡沼山津手永の河原(かわはら)村(現阿蘇郡西原村)、杉堂(すぎどう)村・上陣(かみじん)村・下陣(しもじん)村・平田(ひらた)村・寺中(じちゆう)村・田原(たばる)村・小谷(おやつ)村(現益城町)、戸次(とつぎ)村・馬場楠(ばばぐす)村・曲手(まがて)村・唐川(からかわ)村・井口(いぐち)村(現菊池郡菊陽町)の一三邑を津守郷内とする。応永二七年(一四二〇)書写の建仁二年(一二〇二)一一月三日の健軍社領肥後津守保田地坪付目録(阿蘇家文書)は、一部欠損があり全体を把握しがたいが、判明分のみで所当米を出す年貢田が一一五町六反四丈中である。建久五年(一一九四)の閏八月一五日の宣旨による阿蘇本末社領の片寄の結果、託麻東郷の健軍社領は二三〇町五反(四至内二〇町・本不輸一八町・神宮寺五〇町・片寄一四二町五反)であるから(欠年「託麻郡所領坪付注文」詫摩文書)、津守保はこの片寄分の大部分を占めていたものとみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by