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南北朝内乱 なんぼくちょうないらん

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世界大百科事典 第2版の解説

なんぼくちょうないらん【南北朝内乱】

14世紀の半ばから末にかけて50余年間続いた全国的な内乱。この内乱の勃発は,足利尊氏の擁立した北朝と吉野にのがれた後醍醐天皇に始まる南朝との分立をもたらし,権門,寺社,武士などの多くは南北両党に分かれて抗争したので南北朝内乱という。この内乱は政治機構,社会状態,文化事象などに重要な変化を及ぼしたが,それらの変化は〈南北朝時代〉の項にゆずり,以下主として戦乱の経過に限って述べる。 その経過は,両党の勢力の浮沈に則して,ほぼ次の3期に分けられる。

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世界大百科事典内の南北朝内乱の言及

【南朝】より

…鎌倉時代後半から天皇家は持明院統,大覚寺統の二つに分裂し,皇位継承などが争われていたが,1336年(延元1∥建武3)大覚寺統の後醍醐天皇と足利尊氏とが決裂して建武政府が崩壊した際,尊氏は持明院統の光厳上皇を奉じて入京,光明天皇を擁立し,一方,後醍醐天皇は京都を脱出して吉野に逃れ,ここに二つの朝廷が並立することになった。以後約半世紀の間,南朝は足利氏およびその擁立する北朝と対立し,全国各地で争乱がおこった(南北朝内乱)。南朝ははじめ畿内南部や九州,関東などの武士の支持を得て北朝に対抗し,足利氏の内紛に乗じて一時京都を奪還するなどしたが(正平一統),しだいに劣勢となり,関東では足利基氏が,九州では今川了俊がそれぞれ反対勢力を制して室町幕府の全国支配体制が整い,また南朝方の中心楠木正儀(まさのり)が北朝に下り,さらに懐良(かねよし)親王が死去するに及んで南朝方の活動はほとんど影を潜めるに至った。…

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