津守城跡(読み)つもりじようあと

日本歴史地名大系 「津守城跡」の解説

津守城跡
つもりじようあと

[現在地名]益城町下陳 吉田

下陳しもじん集落の東手の山の尾根部にある中世城跡一帯を城山しろやまという。正平三年(一三四八)九月の恵良惟澄軍忠状(阿蘇家文書)によれば、延元二年(一三三七)七月に北朝方の和泉豊後守のいた津守城を、南朝方の惟澄が落している。また永徳元年(一三八一)六月二九日には、今度は南朝方の守る「木山・津森両城」を今川了俊は、深堀時久とともに攻撃している(同年七月日「深堀時久軍忠状」深堀文書)。天文一九年(一五五〇)菊池義鑑横死の混乱に乗じて隈本くまもとに戻った菊池義武は、閏五月一九日「津守・木山」に兵を進め勝利を得た(「八代日記」、同月二五日「菊池義武書状」相良家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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