下陣村(読み)しもじんむら

日本歴史地名大系 「下陣村」の解説

下陣村
しもじんむら

[現在地名]益城町下陳しもじん

南は福原ふくわら村、北は上陣かみじん村と接する。慶長国絵図に村名がみえ、近世は沼山津手永に属した。正保郷帳では田三五〇石二斗余・畑四一〇石七斗余。「国誌」には「柿迫村中尾村川上村三竹村田中村二尊寺村等ノ小村アリ」とある。文化八年(一八一一)の沼山津手永略手鑑では高九八七石七斗余、田二一町四反一畝余・畑四五町九反余、上陣村より越地分として高二九石一斗余、田一町五反余があり、藍瓶本手五、大工札二、揚酒本手・商札・馬口労札・石工札・家根葺札・水車各一がある。明治一五年(一八八二)の戸数一三七、男三三九・女三三三、牛馬一九六、三竹みたけ溜池がある。同一四年の民業戸数は農業一一二・木挽職二・鍛冶一、物産に鎌・鍬・釘・下茶などがある(郡村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む