津末村(読み)つすえむら

日本歴史地名大系 「津末村」の解説

津末村
つすえむら

[現在地名]米子市浦津うらつ

浦木うらき村の南、日野川東岸にある。地名の由来は、中世尾高おだかの北西部が日野川などの氾濫で大湖沼地であった頃、その縁辺部に位置したことによるとされる(伯耆志)。池田光仲入部直後の寛永一二年(一六三五)検地帳(谷村家文書)によると、田八町五反余・畑五反余の計九町余のうち川筋となった水田が一町六反余に及び、水田の約二割が荒となっている。また小字名には六郎兵衛ろくろべえ田・助右衛門すけえもん田・久七きゆうしち田・助十郎すけじゆろう田など開田者を付したものが多く、一五例がある。なお小字名は四〇を数えるが、その後統合されたらしく、幕末には九字程度と減少したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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