朝日日本歴史人物事典 「成島錦江」の解説
成島錦江
生年:元禄2.1.15(1689.2.4)
江戸中期の歌人,儒学者,詩人。名信遍,道筑。字帰徳,子陽。錦江は号。奥州白河(福島県)の人。父は白河藩松平家家臣。幕府の表坊主成島道雪の養子となる。奥坊主として徳川吉宗に近侍するうち,その好学ぶりが吉宗の目にとまり,次第に吉宗とその周辺の幕臣たちによる文化行事に参加を許されるようになる。朱子学と古文辞学を修め,一方では冷泉為綱・為久・為村の3代に和歌を学んで,和漢両面の学才を広く知らしめた。学問出精により御同朋格奥務に昇進。坊主衆の名物として江戸の文壇で重きをなした。和漢双方に多くの著述があるが,一代の漢詩文集『芙蓉楼集』は天保1(1830)年に焼失,和文集『芙蓉楼全集』が東大史料編纂所に謄写本として伝わる。<参考文献>久保田啓一「江戸冷泉門と成島信遍」(『近世文芸』44号),同「成島信遍年譜稿」1~3(『江戸時代文学誌』6~8号)
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報