浄土寺跡(読み)じようどじあと

日本歴史地名大系 「浄土寺跡」の解説

浄土寺跡
じようどじあと

[現在地名]左京区銀閣寺

大文字だいもんじ山北西の慈照じしよう(銀閣寺)の地に、その建立以前にあった寺。天台座主となった明救が寛仁三年(一〇一九)に開創したとされるが(天台座主記)、すでに「日本紀略」寛和二年(九八六)三月一四日条に「従三位藤原暁子於浄土寺尼」とある。付近は西側の神楽かぐら(吉田山)とともに葬地でもあったらしく、長元九年(一〇三六)五月に没した後一条天皇は浄土寺西原にしはら火葬にふされ、浄土寺に骨が安置されている(日本紀略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む