御影堂(読み)ミエイドウ

デジタル大辞泉 「御影堂」の意味・読み・例文・類語

みえい‐どう〔‐ダウ〕【御影堂】

仏教寺院で、開山宗祖などの御影を祭る堂。
京都五条橋西にあった新善光寺の異称。この寺の尼が作り出した扇が御影堂扇といわれ、近世では最上の扇とされ有名であったところから、その名がある。

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精選版 日本国語大辞典 「御影堂」の意味・読み・例文・類語

みえい‐どう ‥ダウ【御影堂】

[1] 〘名〙
① 尊崇する人の姿を写した画像や彫像を安置する堂。
※玉葉‐承安三年(1173)六月二九日「大織冠御影堂、已焼了」
② 祖師などの御影を安置した堂。真言宗では開祖空海の像を安置した堂。東寺、高野山が著名。真宗本願寺派では「ごえいどう」と読む。
※実悟記(1580)「阿彌陀堂・御影堂の参銭は昔より丹後に給はる事にて候を」
※東寺百合文書‐り・(年未詳)八月二一日真壁越前守書状「扇拾本〈御影堂〉被御意候」
[2] 京都市下京区御影堂町にある時宗の寺、新善光寺の別称。近世、寺で製した御影堂扇が有名だったところからの称。〔京雀(1665)〕

みえ‐どう ‥ダウ【御影堂】

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日本歴史地名大系 「御影堂」の解説

御影堂
みえどう

[現在地名]高野町高野山

根本大塔の西に南面して建ち、西には准胝じゆんてい堂がある。現在の建物は嘉永元年(一八四八)に落慶したもので、三間四面、宝形造檜皮葺。もと空海の住房であったといわれ、空海作の如意輪観音を安置していたことから御持仏堂・御念誦堂・御庵室などと称されたが、空海滅後真如親王筆の空海御影を安置し、御影堂と称するようになった。金剛峯寺建立修行縁起に「御影堂一宇、奥院塔一基同之、中門一宇、陀羅尼幢二基、已上実恵僧都私建立」とあり、寛永七年(一六三〇)の堂塔建立由来書(続宝簡集)に「御影堂、大師御持仏堂也、実恵僧都有営構、被献大師、御影者、真如親王御筆、写生身給、大師之御開眼」とあることから、実恵の建立と考えられるが、その年次は不詳。御手印縁起に付された絵図には、大塔と西堂(塔)の中間に「廟堂」として描かれている。大塔・金堂など伽藍の堂塔は正暦五年(九九四)・久安五年(一一四九)と二度も雷火に遭い焼失したが、御影堂だけは罹災を免れた。「高野山興廃記」は正暦五年の雷火の際は「所謂護法之児、立御影堂艮角、以袖払炎、諸人見之未曾有之珍事、不思議奇瑞也」、久安五年のときは「猛火傾西、炎廻影堂之尅、自御社山中、暴風乍吹、大雨荐降熾炎猛火之中、唯御影堂一宇、免火災了」と記している。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御影堂」の意味・わかりやすい解説

御影堂
みえいどう

(1) その寺の開基,開山の像を安置した建物。奈良時代頃から開山の没後敬慕の心をこめて建設されはじめたもので,祖師堂開山堂ともいう。浄土真宗西本願寺では「ごえいどう」と読み,親鸞聖人の像を安置する堂舎をいう。 (2) 京都市下京区五条の新善光寺の別称。

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百科事典マイペディア 「御影堂」の意味・わかりやすい解説

御影堂【みえいどう】

祖師堂

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世界大百科事典(旧版)内の御影堂の言及

【祖師】より

…祖師忌には,祖師を賛仰するために,祖師の生涯を絵巻物や屛風などに描いて絵解きをすることが多く,絵伝にはきわめてすぐれたものが残されている。また祖師の肖像画や肖像彫刻(祖師像)がさかんに作られ,それを安置する祖師堂や御影堂(みえいどう)は,寺院の堂宇のなかで重要な意味をもつようになった。祖師の遺品や墨跡などが,信仰の対象として神聖視される例は枚挙にいとまがない。…

※「御影堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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