浅倉村
あさくらむら
[現在地名]日高町浅倉
養父郡の最北、円山川(気多川)中流の左岸に位置し、川を下ると気多郡岩中村に至る。享和二年(一八〇二)の菱屋平七長崎紀行(京都大学文学部蔵)に上流の宿南村(現八鹿町)を出、「平道五六丁行ケバ、左は岩山、右ハ気多川にて、岩山の裾の川岸の上をば、小坂を登り下りしつゝ行ク、足いと痛し、此間を岩帚ゝといふとなり、十丁許リ行ケバ浅倉村、農家五六十軒、茶屋一軒あり、村の出口に滝中川とて、闊ゞ十間許リの川あるを歩より渡る、二三丁ゆけバ岩中村」と記される。天正一五年(一五八七)一一月、出石城(現出石町)城主前野長泰(長康)は田尻孫大夫ら田尻組に「浅蔵村」の荒地の開発をすすめさせ、「煙役」を免じている(同月二九日「前野長泰判物」田尻文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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