浅海村(読み)あすみむら

日本歴史地名大系 「浅海村」の解説

浅海村
あすみむら

[現在地名]矢掛町浅海、浅口あさくち鴨方かもがた本庄ほんじよ

本堀もとほり村の南にあり、西は小田村、東流する小田川流域に開け、阿部あべ(三六六・四メートル)の北麓にあたる。北域を山陽道が横断する。太郎丸たろうまる日妻ひづま毎戸まいどには古墳群がある。寛永備中国絵図に村名がみえ、高一千二〇五石余、旗本花房領。正保郷帳では枝村に南矢上みなみやがみ村・北矢上村・まやたう村が載る。延宝二年(一六七四)幕府領となり(小田物語)、同五年の検地帳(中川村誌)では古検有畝八二町六反余とあり、田方五三八石余・四六町九反余、畠方二一九石余・三五町七反余、屋敷数一〇六筆(高三一石余)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む