浅羽郷(読み)あさばごう

日本歴史地名大系 「浅羽郷」の解説

浅羽郷
あさばごう

浅羽・北浅羽を遺称地とし、高麗こま川流域に比定される。「和名抄」所載の入間いるま麻羽あさは郷の系譜を引く中世郷で、児玉党浅羽氏本領とされる。児玉党系図(諸家系図纂)には入西三郎大夫資行の子行業は浅羽小太夫と注記されている。浅羽氏は鎌倉幕府御家人となり、「吾妻鏡」には文治三年(一一八七)八月一五日の鎌倉鶴岡八幡宮放生会の流鏑馬で行業の孫小三郎行光が的立を勤め、同五年の奥州合戦には行光の兄五郎行長が出陣しているなど(同年七月一九日条)、浅羽氏の活動が記される。永源えいげん寺にある元弘三年(一三三三)五月二二日銘の板碑は鎌倉幕府滅亡の際、北条氏に従って死んだ浅羽氏の供養塔といわれる。文和元年(一三五二)閏二月新田義宗・脇屋義助らが上野から武蔵へ攻め上った際、浅羽氏も新田軍に馳参じた(「太平記」巻三一新田起義兵事)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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