日本歴史地名大系 「浅草天王町」の解説 浅草天王町あさくさてんのうちよう 東京都:台東区旧浅草区地区浅草天王町[現在地名]台東区浅草橋(あさくさばし)二―三丁目浅草御蔵前(あさくさおくらまえ)通(日光道中)西側に沿った片側町。南は浅草大円寺(あさくさだいえんじ)門前、東は三河岡崎藩本多氏下屋敷と御蔵外土手、西は芝御掃除(しばおそうじ)屋敷代地と浅草猿屋(あさくささるや)町。町名は鎮守牛頭天王社(現須賀神社)にちなみ(文政町方書上)、寛文新板江戸絵図には天王丁とみえる。かつては日光道中を挟んで両側に町屋があったが、元禄元年(一六八八)東側七一間半は御蔵火除地として収公され、本所に代地を与えられた。また西側町屋の一部は享保三年(一七一八)の火事で類焼後収公され、浅草茅(あさくさかや)町二丁目裏で代地を与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by