朝日日本歴史人物事典 「浅草市人」の解説
浅草市人
生年:宝暦5(1755)
江戸時代の狂歌作者。大垣氏。通称は伊勢屋久右衛門,号は壺々陳人,都響園。江戸浅草田原町で質屋を営み,浅草寺境内伝法院裏の別荘で起居したといわれる。狂名はその職業にちなんだもの。天明4(1784)年ごろより狂歌界に参加。はじめ四方赤良(大田南畝)と親しく,天明6年ごろより本格的活動を始める。寛政初年(1789年頃)より三陀羅法師らと共に頭光に従って伯楽連に属した。寛政8(1796)年頭光が没したのち,同9年1月に壺側をたて,その主宰者となった。頭光より,南畝の号でもあった巴人亭の号を譲られたが,光没後これを返上して初代浅草庵と号した。狂歌は晩年まで天明調を残している。
(園田豊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報