日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅草庵市人」の意味・わかりやすい解説 浅草庵市人(あさくさあんいちんど)あさくさあんいちんど(1755―1820) 江戸後期の狂歌人。大垣氏、名は久右衛門。江戸・浅草東仲町で質屋を営む。天明(てんめい)(1781~1789)年中に四方赤良(よものあから)(蜀山人(しょくさんじん))に入門し、下町を地盤とする伯楽連(ばくろうれん)に属した。盟友頭の光(つむりのひかり)の没後は壺側(つぼかわ)を興して壺々陳人(つぼつぼちんじん)と号し、蔦屋(つたや)などから狂歌本をいくつか出している。狂歌の才能よりも人格素養に優れて、狂歌界に重きをなし、蜀山人と親交があった。文政(ぶんせい)3年12月29日没。 じやうはりの鏡が池のあつ氷うつしてみたき傾城(けいせい)のうそ (鏡が池は浅草北方の名所)[浜田義一郎] 浅草庵市人(あさくさのいちひと)あさくさのいちひと →浅草庵市人 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅草庵市人」の解説 浅草庵市人 せんそうあん-いちんど ⇒浅草市人(あさくさの-いちひと) 浅草庵市人 あさくさあん-いちんど ⇒浅草市人(あさくさの-いちひと) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例