日本歴史地名大系 「浅草黒船町」の解説 浅草黒船町あさくさくろふねちよう 東京都:台東区旧浅草区地区浅草黒船町[現在地名]台東区駒形(こまがた)一―二丁目・蔵前(くらまえ)二―三丁目浅草三好(あさくさみよし)町・浅草正覚寺(あさくさしようかくじ)門前の北にあり、浅草御蔵前(あさくさおくらまえ)通(日光道中)の東西を挟んだ両側町。東は大川(隅田川)、北は浅草諏訪(あさくさすわ)町。町名由来には諸説あり、オランダから黒船が来朝したことにより当町の稲荷を黒船稲荷といい、町名も浅草黒船町となったとする説(文政町方書上)、黒船が破損した折この地に機具を置いたことによるとする説(改撰江戸誌)、慶長期(一五九六―一六一五)に黒船の船長が御目見得した折の宿所があったことによるという説(江戸集覧・江戸砂子)、徳川家康が建造した黒船を係留したことによるという説(「慶長見聞集」など)などがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by