日本歴史地名大系 「浅貝村」の解説 浅貝村あさかいむら 新潟県:南魚沼郡湯沢町浅貝村[現在地名]湯沢町三国(みくに) 浅貝北方二居(ふたい)村から三国街道を火打(ひうち)峠越で二里六町、南東方三国峠越で上野国利根(とね)郡永井(ながい)村(現群馬県利根郡新治村)へ三里二六町。集落は清津(きよつ)川支流の浅貝川沿いにある。永禄八年(一五六五)一一月二一日の上杉輝虎書状(豊岡つる氏蔵)に「当地浅貝着陣、則頓速沼田へ可打着候」とあり、武田信玄・北条氏康勢の上野・武蔵攻略に対し、輝虎(謙信)は沼田(ぬまた)(現群馬県沼田市)へ向けて当地に軍勢を進めている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by