日本歴史地名大系 「浅里村」の解説 浅里村あさりむら 三重県:南牟婁郡紀宝町浅里村[現在地名]紀宝町浅里瀬原(せばら)村の北西、熊野川上流左岸にある。中世は浅里郷の内で新宮の熊野速玉(くまのはやたま)大社の神領地であったと考えられる(紀伊続風土記)。「熊野年代記」の天正八年(一五八〇)の項に「浅里西東ケ城ヲ堀内殿攻落ス、長川原ニ寄セテ二百人余、山コエニ五百人、堀内城ニ火ヲカケル。勝色ドツトゾアゲニケリ」とあり、浅里城は落城した。新宮石垣文書(新宮市立図書館蔵)によればこの時城を守ったのは浅里左馬之助であるといい、「浅里山城守、応永年間に築城」と記している。現在城跡の規模などについては定かでない。慶長六年(一六〇一)の検地帳(徳川林政史蔵)に「浅利村」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by