浜崎庄(読み)はまざきのしよう

日本歴史地名大系 「浜崎庄」の解説

浜崎庄
はまざきのしよう

市域南東部に所在した奈良春日社・興福寺領庄園。浜崎は神崎かんざき川河口に発達した港湾の一つで、正元二年(一二六〇)四月六日の摂津守中原師藤解(「妙槐記」文応元年四月一三日条)には「浜崎」とみえ、「往古之国領、印鎰之敷□」である当地や神崎杭瀬くいせ等要津の住人が神社仏寺の号をかり、権門勢家の威を募って在家役を逃れ、公事を怠ろうとしている。鎌倉時代中期には春日社・興福寺領庄園となっており、弘長二年(一二六二)の春日若宮祭流鏑馬役を負担している(「略安宝集」内閣文庫大乗院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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