日本歴史地名大系 「浜高家新田」の解説 浜高家新田はまだけいしんでん 大分県:宇佐市旧四日市町地区浜高家新田[現在地名]宇佐市浜高家高家(たけい)村北方地先の周防灘を埋立てて成立した新田で、乙女(おとめ)新田などと同じく日田の西国筋郡代塩谷正義による見立てである。高家村の村引請で、鍬下年季は文政八年(一八二五)から天保五年(一八三四)まで一〇年間となっていた。しかし天保七年の浜高家新開凡取調帳(広瀬家文書)などによると、実際に堤防工事に取りかかったのは文政九年からで、天保三年までに外堤七五〇間(海敷は惣石垣、四五〇間は二重石垣)を完成した。開発反別は田三町五反余・畑九町余で計高六一石五斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by