浦上古場村(読み)うらかみこばむら

日本歴史地名大系 「浦上古場村」の解説

浦上古場村
うらかみこばむら

[現在地名]長崎市山町やままち畦別当町あぜべつとうまち

浦上家野うらかみよの村の東にあり、浦上川支流の川平かわびら川が流れる。江戸時代ははじめ幕府領で、慶長一〇年(一六〇五)より大村藩領、向地むかえち地区に属する。同年の大村領内高目録に「阿瀬別当村」とあるのが当地で、高四二八石余、田三一町四反余・畠一〇町三反余、物成二三五石余。また「おとり瀬」「船渡」「三組河内」「川平」「六枚板」が記される。同一七年の総検地では「浦上古場村」として高四二八石余(同一八年彼杵郡内検高目録)、朱印高も同高とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)正保国絵図でも高四二八石余で、正保郷帳(大村見聞集)では田三七八石余・畠五〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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