浦時子(読み)ウラ トキコ

20世紀日本人名事典 「浦時子」の解説

浦 時子
ウラ トキコ

明治〜昭和期の女性 大陸浪人浦敬一の妻。



生年
慶応3年(1867年)

没年
昭和34(1959)年7月13日

出生地
肥前国平戸(長崎県平戸市)

旧姓(旧名)
田村

経歴
明治15年旧平戸藩士の養子である浦敬一と結婚。20年夫は一通の封書を残して中国に渡り、間もなく消息を絶つ。封書には「他に嫁し、あるいは婿を迎ふるも節操を欠き義理を失うと言ふべからざるなり」とあったが、再婚せずに夫の帰りを待ち続け、別離から10年経ってはじめて失踪届を出したという。39年には旧平戸藩主の松浦家の老女となり、昭和7年まで務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦時子」の解説

浦時子 うら-ときこ

1867-1959 明治-昭和時代,浦敬一の妻。
慶応3年生まれ。明治15年結婚,20年夫は1通の封書をのこし清(しん)(中国)にわたり,22年消息をたつ。封書には「再婚しても節操を欠き義理をうしなうものではない」とあったが再婚せず,もと平戸藩主松浦(まつら)家の老女をつとめた。昭和34年7月13日死去。92歳。肥前長崎出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む