改訂新版 世界大百科事典 「海上警固番役」の意味・わかりやすい解説
海上警固番役 (かいじょうけいごばんやく)
鎌倉後期,北条氏専制のなかで,瀬戸内海を中心とした山陽・南海両道に発布された鎌倉幕府の海賊取締制度。幕府はその支配権を西国に及ぼすようになると,瀬戸内海地域に跳梁する海賊の取締りにあたった。豊後国では1301年(正安3)国内の津々浦々の船は,その大小にかかわらず海賊船と区別できるように,船が所属する浦か在所の名,および船主の名を刻み込むように,また阿波国では24年(正中1)浦々できまった定紋を所属する船につけさせて海賊船との区別をはっきりさせよと命じている。はじめ番役は作られていなかったが,1318年(文保2)ころから恒常的な海上警固番役が実施された。それは山陽・南海両道の海辺3里中に所領をもつ地頭御家人と本所一円地の住人が,守護の指揮にしたがって,国内の海上の要衝に設けられた警固詰所に各人1ヵ月間勤仕するものであった。しかしこの法令の効果はさほどあがっていない。播磨国の明石・投石,安芸国の倉橋島の南東亀ガ首が警固詰所として知られる。
執筆者:宇田川 武久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報