海津城跡(読み)かいづじようあと

日本歴史地名大系 「海津城跡」の解説

海津城跡
かいづじようあと

[現在地名]久留米市安武町住吉

城山じようやまたちに所在した戦国期の平城。貝津城とも書く。高良こうら社の支配のもと五日市が開かれた安武古やすたけふる町の西側に隣接し、南は筑後川の旧河道に接した。「筑後将士軍談」の安武氏の系譜小伝によると、河内国生れの茨鑑政が永正五年(一五〇八)安武村の海津城に入部し、安武氏を称したとする。同書の安武古町海津城跡によると本丸が東西二七間・南北二六間、二の丸が東西三〇間・南北二〇間、三の丸が東西二六間・南北一六間で、築城者は安武民部少輔重乗とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「海津城跡」の解説

かいづじょうあと【海津城跡】


松代城跡(まつしろじょうあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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