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海津幸一 かいづ こういち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

海津幸一 かいづ-こういち

1804-1865 幕末の武士。
文化元年生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。勘定奉行などをつとめる。万延元年(1860)ごろ藩尊攘(そんじょう)派の首領に推されるが,藩政をみだすとして蟄居(ちっきょ)させられる。のち復職して藩財政の再建に尽力。慶応元年幕府の命による長州出兵に反対して捕らえられ,同年10月23日自刃(じじん)。62歳。名は正倫。通称は別に吉助。

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朝日日本歴史人物事典の解説

海津幸一

没年:慶応1.10.23(1865.12.10)
生年:文化1(1804)
幕末の筑前国福岡藩士。名は正倫,通称吉助,幸一。又市の長男。文政9(1826)年父の家督を相続。家禄20石6人扶持。文武目付,勘定奉行,到来奉行などを歴任。万延1(1860)年,桜田門外での大老井伊直弼暗殺後,海津ら筑前勤王党は力を得,藩主黒田長溥の江戸参勤を阻止,藩政の尊攘路線化を建白した。が,翌文久1(1861)年,藩政を妨げたとして蟄居,家禄没収の結果をみた。元治1(1864)年勘定所に復職し財政再建に取り組んだが,長州出兵に際し藩論は二分。佐幕派が勝利し,慶応1(1865)年,自宅禁固ののち枡木屋の獄において自刃を命ぜられた。辞世の歌「竹の杖つくともつきし老てなほ うき節しけき世をたとる身は」。

(岩下哲典)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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