日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギャンジャ」の意味・わかりやすい解説
ギャンジャ
ぎゃんじゃ
Gyandzha
アゼルバイジャン共和国の都市。1804~1918年の間はエリザベトポリElizavetpol'、1935~89年の間はキーロババードКировабад/Kirovabadとよばれた。ギャンジャの呼称は1804年までと1918~35年にも使用されている。人口30万0900(2002)。小カフカス山脈の北東山麓(さんろく)、クラ川支流ギャンジャチャイ川の扇状地上に位置し、バクー―トビリシ間の鉄道に沿う。市は5世紀より知られ、12~13世紀に織物製造の手工業と商業で知られたが、しばしばペルシア、タタール、モンゴルなどに攻め込まれた。18世紀にはギャンジ・ハン国の首都、1804年にロシア領、68年にエリザベトポリ郡役所所在地となった。綿加工や、食肉、製粉、乳製品などの工場、地元産明礬(みょうばん)石を原料とする軽金属工場などがある。旧市街には要塞(ようさい)の城壁、塔(13世紀)、イスラム教の学問所ギョイ・イマム(14~17世紀)、近郊にイスラム教寺院ジュマ・メチェチ(17世紀)などの史跡が多い。農業経済、教育、政治、軽工業、医学などの研究・教育施設、郷土館が置かれている。
[渡辺一夫]