海老一染太郎(読み)エビイチ ソメタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「海老一染太郎」の解説

海老一 染太郎
エビイチ ソメタロウ


職業
曲芸

専門
太神楽曲芸

本名
村井 正秀

別名
舞踊名=花柳 錦兵衛

グループ名
コンビ名=海老一染太郎・染之助(エビイチソメタロウソメノスケ)

生年月日
昭和7年 2月1日

出生地
東京都 新宿区

学歴
三鷹化学工〔昭和21年〕卒

経歴
芸能一家に生まれ、昭和20年弟・染之助と共に傘の上でまりを回す芸で知られる伝統演芸・太神楽の2代目海老一海老蔵に入門、弟とコンビを組み21年新宿末広亭で初舞台。以来、染之助が曲芸を披露する傍らで軽快なテンポと独特な話術を展開する芸が十八番となり、“おめでとうございます”などとはやし立てる明るい芸風で子どもからお年寄りまで幅広い人気を得た。一目見て分かる曲芸は海外でも人気を呼び、旧ソ連や米国、ブラジル、東南アジアなどで公演し、オーストラリアのシドニーオペラハウス、スウェーデン国立人形劇場などにも招かれた。平成元年には「染之助・染太郎のおめでとうございます」でレコードも発売した。

所属団体
落語協会

受賞
放送演芸大賞(曲芸部門賞)〔昭和48年〕,浅草芸能大賞(奨励賞 第1回)〔昭和60年〕

没年月日
平成14年 2月2日 (2002年)

家族
弟=海老一 染之助(曲芸師)

伝記
惜別―忘れ得ぬ人たち 朝日新聞東京本社企画報道部 編(発行元 主婦の友社 ’03発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「海老一染太郎」の解説

海老一 染太郎
エビイチ ソメタロウ

昭和・平成期の曲芸師



生年
昭和7(1932)年2月1日

没年
平成14(2002)年2月2日

出生地
東京都新宿区

本名
村井 正秀

別名
コンビ名=海老一染太郎・染之助(エビイチソメタロウソメノスケ),舞踊名=花柳 錦兵衛

学歴〔年〕
三鷹化学工〔昭和21年〕卒

主な受賞名〔年〕
放送演芸大賞(曲芸部門賞)〔昭和48年〕,浅草芸能大賞(奨励賞 第1回)〔昭和60年〕

経歴
芸能一家に生まれ、昭和20年弟・染之助と共に傘の上でまりを回す芸で知られる伝統演芸・太神楽の2代目海老一海老蔵に入門、弟とコンビを組み21年新宿末広亭で初舞台。以来、染之助が曲芸を披露する傍らで軽快なテンポと独特な話術を展開する芸が十八番となり、“おめでとうございます”などとはやし立てる明るい芸風で子供からお年寄りまで幅広い人気を得た。一目見て分かる曲芸は海外でも人気を呼び、旧ソ連や米国、ブラジル、東南アジアなどで公演し、オーストラリアのシドニーオペラハウス、スウェーデン国立人形劇場などにも招かれた。平成元年には「染之助・染太郎のおめでとうございます」でレコードも発売した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海老一染太郎」の解説

海老一染太郎 えびいち-そめたろう

1932-2002 昭和後期-平成時代の太神楽曲芸師。
昭和7年2月1日生まれ。昭和20年海老一海老蔵に入門,21年勝太郎と名のって新宿末広亭で初高座,24年染太郎と改名。弟の染之助とコンビをくみ,現代風にアレンジした口上で人気をえる。海外での出演もおおかった。平成14年2月2日死去。70歳。東京出身。本名は村井正秀。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「海老一染太郎」の解説

海老一 染太郎 (えびいち そめたろう)

生年月日:1932年2月1日
昭和時代;平成時代の曲芸師
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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