海老敷村
えびしきむら
[現在地名]三芳村海老敷
山下村の東方に位置し、中央を海老敷川が流れる。北方に金比羅山(海老敷山)がそびえる。海老鋪・蛯敷などとも記した。六代に宝篋印塔や五輪塔があり、平維盛息六代御前の主従の墓というが(房総志料)、六代は陸台の誤記で、ここを居館とした田山正経一族の墓ともいう。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録の北之郡内に知行方分として海老式村とみえ、高二〇八石余(うち田一四三石余)。正保郷帳では平郡内に田方一五〇石余・畑方六六石余とあり、旗本諏訪(三枝)領。享保一二年(一七二七)の安房国村々助郷請帳(岩崎家文書)でも同領。天保一四年(一八四三)以降の領主の変遷は府中村と同様。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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