海野三朗(読み)ウンノ サブロウ

20世紀日本人名事典 「海野三朗」の解説

海野 三朗
ウンノ サブロウ

大正・昭和期の政治家,僧侶 元・衆院議員(社会党);元・参院議員;明善寺住職



生年
明治22(1889)年9月

没年
昭和36(1961)年1月14日

出生地
山形県

学歴〔年〕
東京帝国大学物理学科〔大正5年〕卒

学位〔年〕
理学博士

経歴
山形県立米沢中学校教諭を経て八幡製作所研究所に勤め、日本製鉄理事、同研究所調査部長となった。また技術院事務嘱託、山形市立産業科学研究所所長を兼務。明善寺住職。戦後昭和22年山形1区社会党から衆議院議員に立ち当選、当選2回。28年には参議院山形地方区から立候補、当選した。社会党山形県支部連合会会長、社会党中央委員。27年第2回世界仏教徒会議に県代表で出席随筆「火と日本」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「海野三朗」の解説

海野 三朗
ウンノ サブロウ


肩書
元・衆院議員(社会党),元・参院議員,明善寺住職

生年月日
明治22年9月

出生地
山形県

学歴
東京帝国大学物理学科〔大正5年〕卒

学位
理学博士

経歴
山形県立米沢中学校教諭を経て八幡製作所研究所に勤め、日本製鉄理事、同研究所調査部長となった。また技術院事務嘱託、山形市立産業科学研究所所長を兼務。明善寺住職。戦後昭和22年山形1区社会党から衆議院議員に立ち当選、当選2回。28年には参議院山形地方区から立候補、当選した。社会党山形県支部連合会会長、社会党中央委員。27年第2回世界仏教徒会議に県代表で出席。随筆「火と日本」がある。

没年月日
昭和36年1月14日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「海野三朗」の解説

海野三朗 うんの-さぶろう

1889-1961 大正-昭和時代の冶金(やきん)学者,政治家。
明治22年9月21日生まれ。農商務省にはいり,八幡製鉄所研究所員をへて日本製鉄研究所調査部長をつとめる。昭和10年学士院賞。20年生家の山形市の浄土真宗本願寺派明善寺の住職となる。21年衆議院議員(当選2回,社会党)。28年参議院議員。昭和36年1月14日死去。71歳。東北帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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