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涌井藤四郎 わくい とうしろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

涌井藤四郎 わくい-とうしろう

1721-1770 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者。
享保(きょうほう)6年生まれ。越後(えちご)新潟町の刀剣・武器商。明和5年過重な御用金賦課に反対して町民が蜂起(ほうき)した際,須藤佐次兵衛とともに指導者となる。一時は町政を自治的に管理したが,長岡藩に捕らえられ,明和7年8月25日死罪となった。50歳。名は英敏(ひでとし)。通称はのち荘五郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

涌井藤四郎

没年:明和7.8.25(1770.10.13)
生年:享保1(1716)
江戸中期の長岡藩領越後国(新潟県)新潟町打ちこわし(新潟明和騒動)の頭取。生年は一説に享保6(1721)年。名は英敏。藤四郎の家はもと越前の出で,宝永1(1704)年に佐渡から移住した新潟町本町通五の町に住む新興町人。明和5(1768)年9月,新潟町では藩の御用金賦課と町役人への不満,米価騰貴が原因で,町民らが御用金延納の嘆願書を新潟町奉行に提出しようとした。その直前,中心人物の藤四郎が投獄されたのをきっかけに打ちこわしが起きた。奉行所では藤四郎を釈放,一時新潟町の町政は彼を中心に民主的に運営された。11月以後,藩側は態勢を立て直すと藤四郎らを捕らえて長岡に護送,投獄し,町民の自治組織は壊滅した。藤四郎は同じく頭取だった岩船屋佐次兵衛と共に,打ち首獄門の判決が下り,新潟町中を引き回しの上処刑された。町のため一命を捧げたので,木内惣五郎になぞらえて涌井惣五郎とも呼ばれ,枠井大明神,南無惣五郎大菩薩と尊敬された。明治以後,追善興行や講談などで顕彰された。

(山田忠雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の涌井藤四郎の言及

【新潟[市]】より

… 30年(享保15)新発田藩の松ヶ崎掘割り工事は港を浅くし入港船舶の減少と町の衰微をもたらした。68年(明和5)米価高騰と藩の御用金賦課が重なり,町民は騒動を起こし米問屋,廻船問屋,町役人を襲撃,涌井藤四郎を総代として町民の手による町政を行った。しかし70年には涌井が獄門のほか,それぞれ処罰された。…

※「涌井藤四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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