涌井藤四郎(読み)わくい とうしろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「涌井藤四郎」の解説

涌井藤四郎 わくい-とうしろう

1721-1770 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者。
享保(きょうほう)6年生まれ。越後(えちご)新潟町刀剣・武器商。明和5年過重な御用金賦課に反対して町民蜂起(ほうき)した際,須藤佐次兵衛とともに指導者となる。一時は町政を自治的に管理したが,長岡藩に捕らえられ,明和7年8月25日死罪となった。50歳。名は英敏(ひでとし)。通称はのち荘五郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の涌井藤四郎の言及

【新潟[市]】より

… 30年(享保15)新発田藩の松ヶ崎掘割り工事は港を浅くし入港船舶の減少と町の衰微をもたらした。68年(明和5)米価高騰と藩の御用金賦課が重なり,町民は騒動を起こし米問屋,廻船問屋,町役人を襲撃,涌井藤四郎を総代として町民の手による町政を行った。しかし70年には涌井が獄門のほか,それぞれ処罰された。…

※「涌井藤四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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