日本大百科全書(ニッポニカ) 「淫祠」の意味・わかりやすい解説
淫祠
いんし
いかがわしいものを信じて祀(まつ)るもので、性崇拝に基づくものが多い。道祖神の神体として石棒などの陽石や陰石を祀るものが各地に見受けられる。小祠(しょうし)に祀ったものもあるが、戸外に置かれたものも多い。金勢(こんせい)神、金精(こんせい)神と書かれたものがあり、東北地方ではコンセサマといっている。『遠野(とおの)物語』には、コンセサマを祀る家が少なくない。この神の神体はオコマサマとよく似ている。オコマサマの社(やしろ)は里に多くあり、男の物をつくって捧(ささ)げる、とある。
土淵(つちぶち)村(旧岩手県上閉伊(かみへい)郡、現遠野市)の和野という所の石神は1本の石棒で、畑の中に立ち、女の腰の痛みを治すといわれていた。下野(しもつけ)日光の金精峠はよく知られているが、明治維新前までは日光山の御師(おし)の家で、金精大明神の守り札を出していたという。神奈川県の川崎大師の近くに金山神社という小祠がある。いまは若宮八幡(はちまん)の境内にあり、男の物を神体としている。この名の神社には性神を祀ったものが多い。男女和合の形象を刻したものは道祖神にみられるが、それとは別に秘仏として祀られているものに、密教の大聖歓喜天によるものがある。これら性神は、男女和合、安産祈願、災難除去、悪魔払い、金銭富貴など現世的利益を求めた信心によるものが多い。
[大藤時彦]