川崎大師(読み)かわさきだいし

世界大百科事典 第2版の解説

かわさきだいし【川崎大師】

神奈川県川崎市にある真言宗智山派の寺。正式には金剛山金乗院平間(へいげん)寺という。開山は尊賢(1143没)と伝える。本尊は弘法大師座像。江戸時代の中期以降弘法大師信仰の隆盛にともない,かつ江戸の近郊で東海道の近くにあったため,流行仏(はやりぼとけ)として江戸をはじめ,近郷近在の多くの人々の信仰をあつめた。寺領は6石。1795年(寛政7)〈武蔵国新義真言宗本末帳〉には本山は京都醍醐地蔵院と記されている。

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大辞林 第三版の解説

かわさきだいし【川崎大師】

神奈川県川崎市にある真言宗智山派の寺、平間寺の通称。山号は金剛山金乗院。大治年間(1126~1131)の創建といい、江戸時代から庶民の信仰を集める。本尊の空海像は厄除やくよけ大師と呼ばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川崎大師
かわさきだいし

神奈川県川崎市川崎区大師町にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の大本山。詳しくは金剛山金乗院平間寺(こんごうさんきんじょういんへいけんじ)と称するが、厄除弘法(やくよけこうぼう)大師、川崎大師で親しまれている。成田山新勝(しんしょう)寺、高尾山薬王院(やくおういん)とともに智山派の関東三大本山の一つ。大治(だいじ)年間(1126~1131)、平間兼豊(ひらまかねとよ)・兼乗(かねのり)父子の武士が、諸国流浪のすえ川崎の地に住み着き漁業をなりわいとしていたが、あるとき海中より1体の木像(弘法大師像)を引き揚げた。兼乗は当年42歳の厄年であったので、その像を日夜懇(ねんご)ろに供養(くよう)し、厄除けを祈願した。そのころ高野山(こうやさん)の尊賢上人(そんけんしょうにん)が諸国遊化(ゆうげ)の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄り、尊像の霊験奇瑞(れいげんきずい)に感動し、兼乗と力をあわせて1128年(大治3)一寺を建立したのが当寺の開創で、兼乗の姓平間(ひらま)をもって平間寺(へいけんじ)と号し、本尊を厄除弘法大師と称するようになった。
 中世には兵火にかかり衰えたが、江戸初期には六郷宝幢院(ろくごうほうとういん)末寺となり、1648年(慶安1)幕府より朱印6石を寄せられた。明和(めいわ)・安永(あんえい)年間(1764~1781)隆範(りゅうはん)、隆盛(りゅうせい)らが相次いで諸堂を修造して興隆。このころ将軍徳川家斉(いえなり)の参詣(さんけい)を得て寺運栄え、広く庶民に信仰されるに至った。1805年(文化2)宝幢院を離れ、醍醐三宝院直末(じきまつ)となる。1879年(明治12)三宝院を離れ京都智積院(ちしゃくいん)直末、1898年に別格本山となり、1958年(昭和33)大本山に昇格した。1945年戦災で諸堂宇を焼失したが、戦後復興に努め、1964年に不動堂および本堂を落慶。さらに、中書院、交通安全祈祷(きとう)殿、信徒会館、大山門、八角五重塔を建立し、伽藍(がらん)の偉容を一新した。
 年中行事は、元朝大護摩供(がんちょうおおごまく)、節分会、本尊弘法大師降誕奉祝会など数多い。縁日の21日はことに参詣者が多い。寺宝に、川崎市重要歴史記念物に指定される絹本着色の毘沙門天(びしゃもんてん)像、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像、不動明王像、愛染(あいぜん)明王像、弘法大師像などがある。また碑蹟(ひせき)に寛文(かんぶん)3年(1663)銘の道標「こうぼう大し江のみち」、寛永(かんえい)5年(1628)銘の六字名号(みょうごう)碑がある。[野村全宏]

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精選版 日本国語大辞典の解説

かわさき‐だいし かはさき‥【川崎大師】

神奈川県川崎市にある新義真言宗智山派の大本山、金剛山平間寺の通称。成田山新勝寺高尾山薬王院とともに関東における智山派三山の一つ。厄除(やくよけ)大師として有名。

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