深江庄(読み)ふかえのしよう

日本歴史地名大系 「深江庄」の解説

深江庄
ふかえのしよう

糸島郡二丈町の中央やや東の深江・上深江に比定される。原田氏の一族深江氏が一分地頭職を所持した。建武四年(一三三七)二月二日の沙弥某宛行状写(深江文書/南北朝遺文(九州編)一)に「深江庄」とみえ、深江崇種(種氏か)所領であった田地五〇町の地頭職が勲功の賞として原田(深江)六郎太郎(崇種の子か)に与えられている。崇種が南朝方に就いたため没収され、北朝方に就いた六郎太郎に与えられたものであろう。そのため南朝方にとどまった深江種長(崇種の子種永か)は、暦応三年(一三四〇)当村や片山かたやま村を焼払い、一貴寺いきじ山に立籠っている(同年三月日「重富正高軍忠状」重富文書/南北朝遺文(九州編)二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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