日本歴史地名大系 「深草十二帝陵」の解説 深草十二帝陵ふかくさじゆうにていりよう 京都市:伏見区深草村深草十二帝陵[現在地名]伏見区深草坊町真宗(しんじゆう)院の西にあり、別に深草北陵ともいう。後深草・伏見・後伏見・後光厳・後円融・後小松・称光・後土御門・後柏原・後奈良・正親町・後陽成の一二人の天皇の陵である。後深草天皇は嘉元二年(一三〇四)七月一六日富小路(とみのこうじ)御所で没。深草殿に渡し伏見殿に御送された(増鏡)。伏見天皇は、文保元年(一三一七)九月三日持明院(じみよういん)殿にて没(皇胤紹運録)。後伏見天皇は延元元年(一三三六)四月六日持明院殿で没(同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by