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後土御門天皇 ごつちみかどてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後土御門天皇
ごつちみかどてんのう

[生]嘉吉2(1442).5.25. 京都
[没]明応9(1500).9.28. 京都
第 103代の天皇 (在位 1464~1500) 。名は成仁 (ふさひと) 。後花園天皇の第1皇子。母は嘉楽門院信子 (藤原孝長の娘) 。寛正5 (1464) 年践祚,翌年即位。在位中に応仁の乱が起った。

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デジタル大辞泉の解説

ごつちみかど‐てんのう〔‐テンワウ〕【後土御門天皇】

[1442~1500]第103代天皇。在位1464~1500。後花園天皇の第1皇子。名は成仁(ふさひと)。在位中に応仁の乱が起こった。歌集「紅塵灰集」がある。

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百科事典マイペディアの解説

後土御門天皇【ごつちみかどてんのう】

室町後期の天皇。在位1465年−1500年。後花園天皇の第1皇子。諱(いみな)は成仁(ふさひと)。即位後まもなく起こった応仁・文明の乱により朝廷の財政は逼迫,皇居も度々の移転を余儀なくされた。
→関連項目後柏原天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後土御門天皇 ごつちみかどてんのう

1442-1500 室町-戦国時代,第103代天皇。在位1464-1500。
嘉吉(かきつ)2年5月25日生まれ。後花園天皇の第1皇子。母は藤原信子(嘉楽門院)。父の譲位をうけて即位。その3年後におきた応仁(おうにん)の乱で,京の都は戦火にあれ,社会不安は地方にまでおよんだ。幕府の権威はおとろえ,財政は窮迫して朝儀もままならず,何度も譲位をかんがえたという。明応9年9月28日死去。59歳。墓所は深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は成仁(ふさひと)。法名は正等観。歌集に「紅塵灰集」など。
【格言など】ともすれば道にまよへる位山うへなる身こそくるしかりけれ(「後土御門院御集拾遺」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後土御門天皇

没年:明応9.9.28(1500.10.21)
生年:嘉吉2.5.25(1442.7.3)
戦国時代の天皇(在位1464~1500)。後花園天皇の第1皇子。母は藤原孝長の娘信子(嘉楽門院)。諱は成仁。長禄1(1457)年12月親王宣下。翌年4月元服。寛正5(1464)年7月,父天皇の譲位を受けて践祚。翌年末即位礼。文正1(1466)年末大嘗会を挙行したが,時あたかも将軍足利義政の跡目争いを背景とした文正の政変直後で,中世最後の大嘗会となった。この直後畠山義就山名宗全の招きで上洛し,応仁の大乱に突入する。応仁1(1467)年8月には戦乱のため室町第が仮御所となり文明11(1479)年ようやく土御門内裏へ移った。この間文明3年より親政開始。しかし内には内大臣日野勝光日野富子兄妹の専横,外には禁裏領荘園の押領で天皇家は家産すら思うに任せず,これらの不如意を理由に天皇はしばしば退位宣言を発し,その数は前後5回におよんだ。なお吉田兼倶の神異密奏に勅許を与え,唯一神道の自立に手を貸したのは重要な治績といえる。朝儀再興にも意を用いたが財源難は如何ともしがたく,以後天皇の終身在位が定着した。

(今谷明)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごつちみかどてんのう【後土御門天皇】

1442‐1500(嘉吉2‐明応9)
第103代に数えられる天皇。在位1465‐1500年。後花園天皇の第1皇子,名は成仁(ふさひと)。1464年(寛正5)践祚。在位の間に応仁・文明の大乱が起こり,いわゆる皇室式微の時代を迎えた。戦禍と財政迫のため,皇居も転々とし,朝儀も途絶えがちとなったが,天皇は朝儀の維持存続を心がけ,有職故実の研究や儀式の習礼を廷臣に奨励した。また和歌,連歌に長じ,《紅塵灰集》《いその玉藻》などの歌集がある。【武部 敏夫】

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大辞林 第三版の解説

ごつちみかどてんのう【後土御門天皇】

1442~1500) 第一〇三代天皇(在位1465~1500)。名は成仁ふさひと。後花園天皇の皇子。在位中に応仁の乱が起こった。歌集「紅塵灰集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後土御門天皇
ごつちみかどてんのう
(1442―1500)

第103代天皇(在位1464~1500)。名は成仁(ふさひと)。法名正等観。後花園(ごはなぞの)天皇の子。母は藤原孝長の女(むすめ)で、内大臣大炊御門(おおいみかど)信宗の猶子(ゆうし)になった嘉楽(からく)門院信子。父天皇の譲を受けて位につき、応仁(おうにん)の乱に際会してつぶさに苦難をなめ、明応(めいおう)9年9月28日崩御。そのとき費用がなく葬儀を行うことができず、内裏(だいり)黒戸に遺骸(いがい)を置くこと40余日、11月11日ようやくにしてこれを執り行うをえた。同天皇には歌集が種々存したことが諸書にみえるが、今日に伝存するものとしては、『紅塵灰集(こうじんかいしゅう)』と称する1巻、『百日和歌詠草』の1巻が著聞する。京都の深草北陵に葬る。[村田正志]
『列聖全集編纂会編・刊『御撰集』第1巻(『列聖全集 13』1915)』

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