日本歴史地名大系 「清ヶ谷古窯跡群」の解説 清ヶ谷古窯跡群せいがやこようせきぐん 静岡県:小笠郡大須賀町清ヶ谷村清ヶ谷古窯跡群[現在地名]大須賀町山崎・西大渕・横須賀小笠山西南麓(おがさやませいなんろく)古窯跡群ともよばれた。小笠山丘陵の南西域を開析する浸食谷に位置する。同丘陵南西域で古窯跡の分布が確認されている谷筋は、佐平治(さへいじ)ヶ谷(や)を最北として南に順に清ヶ谷・水(みず)ヶ谷(や)・樹木(じゆもく)ヶ谷(や)・釜(かま)ヶ谷(や)と扇状に並び、確認された窯跡の数は約五〇基である。八世紀代までさかのぼる可能性のある五郎右衛門(ごろうえもん)窯跡などが清ヶ谷古窯跡群の開始期を物語り、水ヶ谷奥窯跡は当窯跡群における須恵器生産終焉の段階に相当する。両窯跡の間を継ぐ須恵器窯は途切れがちであるが、八世紀代の須恵器とともに遠江国分寺(現磐田市)の瓦を焼いている竜天東(りゆうてんひがし)窯跡などが介在する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by